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泉美木蘭
2025.10.26 11:44

道場の感想

きのうの道場、ネットで視聴しました。
前半は、学術的な単語に追いつけないところもあって難しく、すごく頭を使う時間でした。

保守というのは、歴史のなかに醸成された良き慣習や常識、文化を重んじつつ、現状の問題に対して、どのように判断をつけていくのか、その過程では、思い悩んだり、学んだり、考えを改めたりすることもある、その態度そのもののことだと私は思っています。

それはまさに、小林先生がずっと示してくれている姿であって、単に「漸進的」というラベルだけで分類できるものではないと思います。
コロナの時の闘いを思えば、(その時の世間から見れば)かなり過激で、摩擦も恐れない姿勢でもあると思うし、
力強くもしなやかさ、柔軟性が必要。
世間、それも匿名化したネット世間にも溺れず、流されず、考え続ける胆力も必要な思想だとも思っています。

ところが、そういう不安定な、1つの答えに定まりきれない姿勢に耐えられないのが、エセ保守。
「票になる答え」を求めて、「万系一世・男系男子・靖国参拝・憲法改正」という標語を糧に生息しているタコツボ世間の目に絡めとられて、それを金科玉条と信奉してしまう政治家だらけ。
因習によって皇室が苦しめられ、断絶に向かっていようがおかまいなし!

そういう政治家が”保守”とされる状況なんて、崩壊させなければならない。
このままでは、いずれ保守の態度というものを理解できる人が日本からいなくなってしまう。
その意味で、昨日のテーマはとても重要だったと思うし、エセ保守を崩壊させる世間の勢いが必要だとも思います。

自由主義にも、国家からの自由を獲得するという方向性もあれば、行き過ぎた自由を調整するために、国家が介入するという方向性もあるという話は、ああなるほどと思いました。

ワクチンパスポートを作り、感染者を監視しろと言うリベラルを見て、一体どこがリベラルなんじゃいと思っていたけど、あれは後者の「~への自由」のつもりだったんだろうか?

恐怖に支配され、今こそ脚光を浴びてやろうと躍り出た医者・科学者など、“アタマのいい人”が書いた地図を信奉して、個人の自由を狭めようとしたリベラル。
その動きに対して、自由や文化、常識を守ろうと闘った「コロナ論」は、科学的な知見やデータ分析を用いながらも極めて保守だったんだと思います。

「自分」というものの概念が分岐点にもなるようにも感じました。
漫画家として感性を変遷させてきた小林先生の話、「裸の個人なんていない」という中島先生の話は、私にはしっくりくるものがありました。
「なににも束縛されない自由な自分」というのは、いつか教科書で読んだ、自然権としての人権思想に端を発するものではないかと思います。
でもそれは、「思考実験」と表現されていたように、私にはどうしてもフィクションの世界に思えてしまいます。

歴史の中に培われ、自分にも紡がれている感性を呼び覚ましつつ、過去のその時代、その環境に生きた人々の感覚に思いを馳せるということができないと、歴史上の出来事・文化を「あってはならないことだった」と糾弾し、簡単にキャンセルカルチャーに走ってしまうでしょう。
慰安婦問題は、事実がどうであったということはもちろん重要だけど、そのような感覚・まなざしを持てるかどうかも、理解の分かれ目であるように感じました。

その他、断片的に質問として思い浮かんだこと・・・

●社会党が崩壊し、米国の二大政党制を取り入れようとしたという話
真似したつもりが、そもそも自由な経済も、社会保険制度も両立していた日本では、「小さな政府 vs 大きな政府」のようなはっきりした対立軸をうまく切り出せなかったのかな?

●「女らしさ、男らしさ」を拒絶してきた人々が、高市早苗に「女だったらこうしてほしい」と要望するのは属性差別だという話
そもそも「女らしさ、男らしさをなくす」という発想自体が、人間の性や現実を無視した意味のないものだったんだと思う。それが本人たちの感覚によって露呈したという話かな?

●世界的に、王様のあり方に批判的なのが保守だという話
最近ベネルクス三国に興味を持っていたのだけど、驚くようなことが起きている。
ベルギーでは、議会を通過した中絶法案について、敬虔なカトリック教徒である国王が署名を拒否。そのため一時的に王位を退位し、平民となって、その間に法案を成立させるという手段がとられていた。
ルクセンブルクでは、安楽死法案に署名できないカトリックの国王(大公)を回避するために、政府と議会が「法律の成立に国王の署名は不要」という憲法改正を行ってしまった。

カトリックの信仰心と、世俗化した国民の感覚とを調整するための手段なのかもしれないけど、私はかなりびっくりした。
ヨーロッパにおいては、宗教的な信仰心が薄れていること、特にカトリックが不人気な社会情勢になっていることも関係してくるのかと思ったけれど、どうなんだろう。

泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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